葛布の起源はどこにあるのだろうか。
古代日本では、人々は身近にある植物の蔓や茎等から繊維を取り出し、それを編んだり織ったりすることによって布を作った。葛布もそんな布の一つであると思われる。
最近になって発掘された古墳時代前期の太宰府菖蒲ヶ浦一号墳から、目の粗い(織り密度は{8〜9}×{6〜7})葛布をその表に一面に付着した方格規矩鏡が出ている。
経緯共葛であった。(写真1) (注1)

さらに歴史を遡れば、中国では墨子、論語、貴族の礼法を説いた「禮記」に夏の衣料として葛布が記述されている。(注2)
養老律令には葛布を皇太子の色である黄丹(おうに・おうたん:クチナシとベニバナで黄赤色に染まった色)に染めたとされる。官位十二階の上五階までは葛布の染め方が載っているが、下七階には載っていない。興味深いことである。(注3)
万葉集には葛布にまつわる和歌が数首見られる。葛が衣服としてかなり用いられていたことが知れる。(注4)
奈良、平安時代、葛布は貴族の間では喪服や袴に用いられ、特に「けまり」の時には葛布で作った指貫(さしぬき:裾を紐でくくるようになっている袴)が用いられ、これは江戸時代まで続いたようである。(注5)
江戸時代、葛布は軽くて通気性が良く、また武士の好んだ直線が出せるところから、袴、裃、陣羽織、乗馬用袴等に用いられた。このころには遠州(静岡県西部)掛川の特産品として葛布が有名になっていたようだ。(注6)
しかし、明治維新後、武士の消滅と共に葛布の衣料としての需要は激減し、新たに襖・壁紙等の分野へと活路を見いだすことになる。
当社先代 村井博は昭和26年静岡葛布を設立、国内へは襖紙を欧米諸国には葛布壁紙を輸出した。昭和30年ころは織機20台が工場に並び、賃機の内職も多かったようだ。
その後、ドルショックや材料入手難で、葛布の産業も衰退、当社も葛布襖紙を残すのみとなっていった。(注7)
葛布の襖は耐久年数が長いだけでなく、使い込むほど飴色の美しい艶が出てくることで今でも根強い人気がある。
葛布はその起こりから長い間衣料として用いられて来たが、明治維新後その用途は大きく変化した。しかし、私たちはインテリアだけではなく、もう一度現代のファッションとしての葛布を甦らせたいと考えている。葛布の歴史脚注
注1) 目で見る繊維の考古学 布目順郎 染織と生活社 221ページ
写真1)目で見る繊維の考古学 布目順郎 染織と生活社150ページ複写
以上は布目順郎先生のご厚意で掲載しております。
注2) 絹の東伝 布目順郎 小学館ライブラリー P-270
注3) 衣服令の色彩シンポリズム 泉緯慈三郎 神奈川歯科大学基礎科学論集
注4) 万葉集 巻7-1346 作者不詳
巻7-1272 柿本人麻呂歌集
注5) 掛川の葛布 静岡県小笠社会科サークル編 P-16
注6) 掛川の葛布 静岡県小笠社会科サークル編 P-16
注7) 現在の静岡壁紙工業株式会社
葛布壁紙はホワイトハウス、バッキンガム宮殿に採用された。
葛布についての資料は「染織α」2000年7月号に掲載されています。