名古屋松阪屋出展のおり、某図書館の古文書専門のN氏と知り合い、図書館蔵書の製葛録という図書のコピーを入手する事が出来た。おかみさんが自身のブログで訳を公開していたが、
とても貴重なものなので、ホームページに掲載する。
掲載するにあたって、ブログでは載せていない製葛録の図も合わせて掲載する。
著作権などの問題があれば すぐに削除する所存である。
なお、その時々のおかみさんの感想も併記している
■製葛録とは
製葛録とは江戸時代、文政11年(1828)大蔵永常(1768〜1
8?)によって書かれた農学書の一つである。
大倉永常は、明和5年(1768)豊後国(現在の大分県の北部をのぞ
く)日田郡の農民の子として生まれた人で、日本各地を歩き、多くの農
学書を著した。
この製葛録には葛粉のとりかた、葛布の作り方が詳しく述べられている。
そして、飢饉に備え盛んに葛を植えよ、と農民を奨励している。
以下、少しずつ内容を紹介していきたい。
| 製葛録1 | 製葛録2 | 製葛録3 | 製葛録4 |
製葛録 全 大蔵永常

総論
それ葛は、丘山林野に自ら生じ、清浄清白にして毒なく、薬種ともな
り、飢渇を助くるの大益あり。
先第一野山に近き窮民は常にこれを掘りて葛粉に製し、市にひさぎなば
利を得る事多し。
作物の他に有益のものなり。
又、白葛の外に下品黒葛というものあり。
それをば家内の糧とし、葉は刈りて牛馬の飼とし、蔓は布に製し、又飢
饉の年は窮民はもとより常に乏しく暮らせる農家在町の者までもこれを
堀り製して色々のものを混じえ食物とし、飢えをしのぐにこれに勝るも
のは多からず。
然れば丘陵原野等にはその地頭よりお世話あらせたまいてその根の芽を
とり新たに植え、又は蔓をささせなどしておかば年あらずして繁茂すべ
し。
しかして飢饉の手当とならばこれも国の備えなり。
又窮民常に掘りて農業の暇なるときの助益とし遂には所の産物となりて
その益少なからず。
全てものは植えずに生育せざる事はなきものなり。
予が郷里には蜆ははえてなかりしが、30年ほど以前遠国より蜆を求め
て小河に放ちけるが、その後大いに生じて今はその辺りの河河は勿論5
里7里を隔てし河河までも生ぜしとなり。
伝え聞く、昔東国の海に白魚鳥貝などいうものさらになかりしに、百年
のむかし賢き君の御心にてこの二品を放させたまいしより、今は多く生
じて土人の助けとなれり。
又松茸の生えざる所にても、よく出る山の土を取りて盛んなる松山にま
けば、それより生えそむるといえり。
かくの如く貝魚茸の類すらいたわれば生るものなれば生出るもの植える
に、などか茂らざる事のあるべきや。
柴山広野までも葛と蕨を植えおきて飢饉の備えとなるときは国君のさい
わい民の利益にして穀類を囲うの利にも当たるべし。
又末に知るに、葛布を織る事はその所の女の職となり袴合羽の類を織り
出すようになりなば、これ又所のおぎなうべき助けともなるべし。
漢土(から)にては家園に植えてながめとするによりこれを家葛(やかつ)という。
又、山野の自然生を野葛(やかつ)という。
又、同音異物あり。治葛(やかつ)という。
家葛と野葛と同種なり。
土瓜(どくわ)
又実を葛穀(かっこく)という。
葛に製したるを葛粉という。
さらしたるを曝し葛という。
又、葛根に生干しとさらしとの二種あり。
薬には生干しの茶褐色なるを用う。
葉は扁豆(へんづ)に似て三葉一所に着きて三つに尖り、小豆の葉の如
きもありて面(おもて)青く背淡し(うすし)。
全て茎葉蔓とも小毛茸あり。
その蔓ながさ12丈又3丈。
7月頃に花つき、その花穂となり紫色にして卯の花又萩の花の如く咲き
て、いと見事なり。
のち実を結ぶ。
すなわち莢ありて小さき莢豆(さやまめ)に似て緑色にして扁なり。
扁なる事、小梅の種の如し。生にて嚼むになまくさけあり。

葛生育するところの事
葛は、寒国暖国のへだてなく山野に限らずいずれの所にも生ずといえど
も、平かなる野の堅実の地なるは根痩せて粉を得る事少なし。
又、樹木の茂れる中なるは根肥えたれども粉少なし。
いずれにもあれ、黒土又はきつね色にてかるき土の堅き悪地は粉いたっ
て少なく、色もよからず。
又陰地は根細く粉も少なし。
陽地は根もよく粉も多し、と知るべし。
只樹木のまれなる山のよこ腹又は東南をうけて日当りよき谷間の岩石に
添うて生えたる根、宜し。
それは、小さきも粉多し。
たとえば、木山平原の地たりとも土性少しかろく、石の多き土地にて
は、根よく粉多し。
砂ばかりの地の土肉のなきは、生育せずすべて暖国より寒国の葛よろし。
遠州辺にては、葛粉を製せず六月の頃蔓をとり、蒸して苧となし、繋ぎ
て布に織るのみなり。
すなわち、掛川の産物にて葛布を商う家多し。
すべて布に織るには、いずれの地に生じたるもわかちなく、只続きて長
きをよしとす。
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