初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)のこと
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2002年9月29日 静岡県三ヶ日町の初生衣(うぶぎぬ)神社に行って来ました。 織物に携わっている人必拝の神社です。 |
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| この社は往古より浜名神戸の地に鎮座、伊勢神明初生衣社または浜名斉宮とも称され機織りの祖神天棚機姫命(あめのたなばたひめのみこと)を祭る。神服部(かんはとり)家の旧記によれば1155年以来、境内の「織殿」において三河の赤引きの糸をもって御衣(おんぞ)を織り800年の長い間毎年皇太神宮(こうたいじんぐう)に奉献した。地元では「おんぞ様」とよばれている。 | ||
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| 鳥居をくぐり拝殿の後ろに行くと藁葺き屋根の織り殿と祭殿がある。左が天棚機姫命を祭った祭殿。右が織殿。織殿の後ろには神具庫がある。祭殿も昔は神具庫と同じぐらいの大きさだったらしいが、昭和に入り伊勢神宮から拝領した木材で大きく立て直したそうだ。神服部の家は今も続いていて、そこのおばさんが親切に解説して下さった。 | ||
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天棚機姫命(あめのたなばたひめのみこと)をお祭りする祭殿。棚機姫は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋にお隠れになるときの衣を織った織り姫様である。 鳥居の注連縄が落ちていたので直しました。御利益あるかな? |
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| 祭宮の横にある神具庫。祭宮ももとはこのくらいの大きさであったそうだ。 お参りする人があまりに小さい祭殿に拍子抜けしたので、伊勢神宮にお願いして遷宮の時の材料を下徴したそうだ。 |
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太一御用ののぼり 絹で織ってある |
神社旧記によればこの織殿も毎年新しいものに作り替えるしきたりがあったそうだが、その後取りやめになり、現在のものは1801年の建造であるという。 毎年4月13日に行われる「おんぞ祭」は、もともとは毎年祭主となる夫婦が斎戒沐浴のうえ三河の生糸を織って伊勢神宮に奉納していたことから始まる。江戸時代までは絹布を運ぶ行列は伊勢神宮御用の意味の「太一御用」ののぼりを立てて三河の国吉田(豊橋)に至り、そこから船で伊勢まで行った。 | 太一御用の提灯。これがあると海賊に襲われなかったという。 |
| 織殿の中の織り機、機料を見せていただいた。写真公開は初めての事かもしれない!! 残念ながら機に糸は掛かっていなかった。左に木枠。 機は真っ黒に汚れていたが、近年近くのデパートでシルクロード展示会があった際、貸し出しをした折りきれいに磨いたそうだ。 |
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| 織り殿の中には古式の機がありました。特別写真を撮らせていただきました。 言い伝えでは昔、神服部の夫婦が斎戒沐浴をし、神社境内に注連縄を張り巡らせ、織殿にこもり、機を織ったそうだ。境内の参道は昔苔が敷き詰めてあってそこで整経をしたと伺った。 普段はその苔の参道は履き物を脱いで通ったとのこと。注連縄をくぐって機殿を覗いた輩がめくらになったとの言い伝えがあるほど、この機織りは秘められたものであったそうだ。 |
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織殿の全景。左角に明かり取りの穴が空いている。静岡県の史跡になっている。 荒妙(あらたへ)は麻、和妙(にぎたへ)は絹と聞いていたが、ここでは「荒妙の絹」と称している。 |
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| 入り口の拝殿の中も見せていただいた、注連縄があるこの箱に御衣(おんぞ)を入れて運んだそうだ。 今は4月第2土曜日におんぞ祭を行い、御衣を浜名総社に納める儀式を復活したそうだ。 |
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| 拝殿の横にある神服部(かみはとり)家の社務所兼住居。 元は藁葺き。中から天井を見ると竹で小屋組をしていた。すごい!! 神服部家は800年44代もの長い間宮司としてこの神社守っているという。この家は一子相伝で、一人しか神服部を名乗ることができないと言う。 元をたどれば建羽槌神の神孫、神代以来天照大神御初生衣調進の職をえたそうだ。 |
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| 初生衣神社の機は糸が掛けてなかったが、どのような構造になっていたのか?家に帰って資料を捜すと写真が見つかった。 ほとんど同じ機である。 この機は川島織物の博物館に所蔵してある。 この機を参考にして再度「御衣」を作ってもらい、伊勢神宮に奉納してもらいたいものである。神御衣(かんみそ)祭を復活して欲しいものである。 |
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浜名総社 垂仁天皇から天照皇大神の御霊をお納めする地を捜すようにとの命を受けた皇女倭姫(やまとひめ)が各地を流浪したすえ、三ヶ日のこの地にきて40日滞在、そこで「伊勢へ」との神託を授かったと伝えられている。 |
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| 浜名総社の主祭神は天照皇大神。 その祭殿は立ち入り出来ない。 ここの宮司も神服部家が司る。 |
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| 資料:初生衣神社略記 静岡の文化53号「初生衣神社と浜名総社」1998 神服部さんからの取材 松坂もめん覚え書き 田畑美穂 中日新聞本社刊 織機と裂地の歴史 川島織物文化館刊 |
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