日本の機台腰機の技術復興プロジェクト

日本の機台腰機(イザリ機)の技術復興プロジェクト
日本で使われてきた機台腰機=いざり機の復活とその技術の復興を図ります。


東北地方で使われてきた 地機、いざり機、腰機とよばれた機台付腰=機いざり機は現在、結城紬などの一部でしか使われていいません。経糸を腰に結び、自分の人体を機の一部として織る腰機は環太平洋地域に昔から存在しました。この腰機に機台をつけて能率と品質向上を図るためにフレームを作ったものを機台腰機、もしくは天秤腰機といいます。日本、朝鮮、中国に見られるものです。
 今回、数十台の腰機が廃棄される危機に陥りました。篤志家が自費でこの機を引取、倉庫に預かってくださることとなりました。しかし、そのまま置いているのではやはり、粗大ごみの運命です。この機を救い、活かしながら、日本における腰機の復活と、技術の再興を図りたいと思います。
 

 

このプロジェクト発足の経緯

青森県津軽地方の民族資料の収集、そして Boroを世界に発信したことで有名な田中忠三郎氏。氏は生前 コレクションを郊外の倉庫に分類をして保管していたが、晩年、その倉庫が雪で潰れてしまったので、青森市の廃校になった幼稚園を有償で借り受け、保管場所を移した。
 雪での損傷は大きく、機や機料など、散逸してしまったものも多い。 2020年保管場所の幼稚園の売却、取り壊しが決まったので、青森市から保管品の移設を求められた。しかし青森県の文化財も多く含まれるのにも関わらず、青森県には保管場所が無く、これらのコレクション、文化財は廃棄焼却処分になる恐れがあった。

 そこで 自然布研究家、安間信裕氏が織り機の引受を申し出、遺族、管理者との話しあいで、約100台の内、腰機約70台 その他機料などを自社の倉庫に移設した。なおこの移設保管は安間氏の篤志をもって行われた。
 移設に前もって 古代織連絡会事務局長(大井川葛布織元)の村井龍彦が織り機、機料の調査を行い、トリアージを施して、今後使えるものを選定した。
20212月 青森県の文化財指定から正式に外れた。
 
現在、織機は廃棄、焼却の危機はまぬがれた、しかし、そのまま置いているの では保管費用も嵩み、いずれ、粗大ごみの運命である。この機を救い、活かしながら、日本における腰機の復活と、技術の再興を図るために 腰機プロジェクトを発足させます。
 
 

日本の機台腰機の技術復興プロジェクト(腰機プロジェクト)

1.田中忠三郎コレクションの機台腰機の博物館、研究、教育施設への納入

腰機を博物館、研究施設、教育機関で保存、活用をしてもらいます
  LinkIcon 納入希望はここ

2.腰機の譲渡

腰機を扱える方を対象に機を個人に譲渡、制作に活用してもらいます
  LinkIcon 機の譲渡はここ

3.腰機ワークショップ

今後、腰機を使いたい方に、腰機の技術を学んでもらいます。
また、世界の腰機、腰機の存在意義などを学んで行きます
  LinkIcon ワークショップはここ

4.腰機シンポジウムの開催

ワークショップ卒業生や腰機を使っている方の作品展示会の開催。腰機のレクチャーや世界の腰機などのシンポジウムを開催します

5.田中忠三郎記念 腰機の会(仮称) 設立

腰機の情報交換や友好のための会を設立。腰機の指導、レクチャーの開催などを行い、腰機の普及に尽くします。
 

6.手績み大麻糸で大麻布をつくり、青森でこぎん刺しを復元する

この機はそもそも東北地方の大麻布を織っていた機でした。それに木綿糸でデザインを付けまた、防寒性能も上げたものが刺し子 それを復元することが、この機たちの本来の役割であったし、青森への恩返しであると考えます。
腰機の会のメンバーで大麻布を織り、こぎん刺しを復元することが夢です
 


機台腰機とは

腰機は環太平洋に分布する織り機です。
経糸を自分の腰に固定して織ってゆくという、人体を機の一部として使う機です。そのため、手織りの息吹が感じられるとか、織り手の感触が伝わるとか言われますが、織物組織にも腰機特有のウェービングが現れます。そのため、高機には無い、布の風合いが現れます。しかし、人体を織り機の一部として使う故、安定した布を織ることは熟練が要ります。布耳を揃えることもむづかしいです。
多くの地域では原始機と云われる、フレームがない織り機が使われています。
だが、日本、中国、朝鮮半島では腰機にフレームを付け、経糸の安定を図り、開口操作を天秤装置を使うことで足に操作を分配し、より能率的に織物を作る工夫をしました。しかし、ここまで機を発展させたのにも関わらず、高機にない風合いを求めるため、あえて腰機の形式はやめませんでした。
 

天秤腰機の名称

 天秤腰機と呼んでいるのは、前田亮著の手織り機の研究 日本編に依るのだが、天秤は開口装置(綜絖)を司る装置である。果たしてこの腰機の特徴を言い表しているのであろうか?  どうも「機台付腰機」 の方がこの織り機の特徴をあらわしているような気がする。

米織会館 苧麻機

機台腰機

ここでは機台腰機とよんでいるが、昔はイザリ機と呼ばれたものである。「いざり」というのが差別用語であるとして、最近では「地機」じばたといっている。
私としては「地機」はGrand room  遊牧民が地面に杭を立て、経糸を張って織る
織機と混同するのであまり使いたくないと思っている。本当に「イザリ機」が差別用語なのか? 結城つむぎの産地では昔は「イザリ機」と呼んでいたというし、シナ布の里山北でも「イザリ機」といっていた。単に「ハタ」と呼んでいたこともあるようだ。 フレーム(機台)がある腰機としてフレームのない腰機と区別するために機台腰機と呼ぼうと思う
 奄美大島でも機台腰機をいざり機と呼んでいたと最近聞き及んだ。奄美ではおそらくフレームが斜めの腰機ではないかと思われる。
 
 

腰機と高機の違い

 高機は千巻(経糸を巻いてある筒もしくは板)から出る経糸を、綜絖装置、筬、緯糸を通す杼を使って織った布を手前の布巻き具に固定する。
この固定は織り機のフレームに付けられる。そのため経糸のテンションは一定となる。(開口によって テンションは少し変わる)
 腰機は織り上げた布を腰に巻き付けることにより、経糸のテンション(張力)を変えることができる。開口するときはテンションを緩め、緯糸を打ち込むときはテンションを強くする。 このことによって、緯糸に対して経糸が波打つ。経糸と緯糸が同じようなテンションで布を構成する。同じ太さの糸ならば、横方向にも縦方向にも同じ張りがある布が織り上がる。

米織会館 苧麻機2

日本の機台腰機