葛布の歴史 3

ブログなどで葛布に関係したことを 抜粋しました。アラカルト的なものです。
2010年9月3日アップ

植物繊維の取り出し方

 
  葛布は葛の蔓を煮て、その後ススキの室の中で発酵させます。数日発酵させると表皮が溶け、中の靱皮が出て、芯と分離しやすくなります。これは菌がセルロースを分解する作用があるからです。他の繊維では、一部の大麻、亜麻が発酵を取り入れているようです。これを私は生物的繊維の取り出し方と呼んでいます。
 さて、しな布や芭蕉布、藤布などは 灰汁炊きをします。これは灰汁のアルカリを利用した繊維の取り出し方と言えましょう。これは化学的繊維の取り出し方と私は呼んでいます。
 苧麻の苧引きのように 生の茎をそのままへらや貝殻で削り出す方法もあります。
これを私は物理的方法と呼んでいます。
 このように3つの方法に大別できますが、このうち2つの方法を併用したりする場合もあります。

三大原始布とは2

 
三大原始布とは 葛布、しな布、芭蕉布を言います。
・・・・が何故大麻布、苧麻布、藤布、太布などが入っていないのでしょうか?
 実は三大原始布を 決定した人に お話を聞きましたところ
大麻布は戦後、廃れ、苧麻布も紡績糸が出てきて席巻され、候補から漏れたそうです。
藤布はその当時あまり知られていない、もちろん太布もそうです。
 昭和50年頃 産地として確立してあり、昔ながらの製法を守っていることで
葛布、芭蕉布、しな布がピックアップされたようです。
 このうちどれが一番古いのでしょうか?
葛布の出土は新石器時代にあるので、考古学的には葛布が一番です。
が、寒帯地方に住む人たちに しな布の利用があったのではないかと考えています
ヨーロッパ北部 ロシア、北海道など緯度の高いところに科の繊維の利用があったのではないかと 推測しています。森林から平野へ人々が移動したことを思えば
森林の布(科布)から 平地への境(葛布)そして平地の布(麻布、苧麻布)に移行したのが順序かと思います。
 考古学の世界では まだ布の研究があまり進んでいません。出土物はかなりの場合布に包まれている可能性があるのですが、出土品を取り出すことに重きを置いて 周りの布はゴミとして取り払われてしまうことがあるそうです。  少しづつ状況が変わってくるとよいのですが。

葛布の火消し装束

2009年3月11日記
 葛布の火消し装束 いわゆる 火事羽織である。徳川幕府の太平の世の中、戦乱もなく、武士階級がその働きを発揮するのは 火事のときしかなくなった。そのため陣羽織(鎧などの上に着る)が変化したようだ。火事のとき消化活動をする人の火消し装束は 厚地の綿に刺子をして 火をよけるように作ってあったが、火事羽織を着るような武士は後方で指揮をとっていたのではないかと思う。
 しばらく工房に飾ってありますので ご覧ください。 横の腹掛けも 火消し装束のものだが
羽織と対ではない。表面は芭蕉か? 裏面が苧麻 紐の部分が葛布と 自然布のオンパレードのような
腹掛けである。(その後の調査で裏面は大麻であることがわかりました 2010/09/03)

三大原始布とは 

2009年12月25日記
 三大原始布とは 
芭蕉布 しな布 葛布 です
 
新潟に古代織の館という 施設が昔ありました
そこで1980年もしくは81年に
村上市の郷土史家と 古代織りの館の 加納館長が
「三大古代織 もしくは三大古代布」として
制定したそうです
 その後 その言葉が一人歩きしまして
マスコミ等で「三大原始布」として取り上げられるようになったそうです
 ただ、「原始布」という言葉は 米沢の山村商店が 商標登録をしているようで
正式な文章に載せると クレームが付くかもしれません。
 
新潟のMさんからの お問い合わせへの回答です。
皆さんも参考になればと思い 掲載しました。
 麻、苧麻がないのは その当時十分生産されていたからだそうです。
藤布、太布などがないのは、当時、既に産業として成立していなかったからの様です。
 たしかにシナ布は歴史が古そうです。そもそも 森に住んでいた人間が最初に衣服にしたのは
樹皮繊維かもしれません。
 葛も歴史が古く、麻、苧麻、絹以前の繊維といってよいでしょう。
さて、そのなかで 芭蕉布はどれだけ歴史があるのでしょうか?
南方のほうでは 早くから利用されていたかもしれません。
もっとも バナナの食料利用はかなり古いので やはり繊維利用もふるいのかな。

芭蕉布の発酵

2007年2月16日記
かねてより 植物繊維から糸を取り出す過程で、「発酵」の役割を考えていました。
1.物理的方法  昭和村や宮古島の苧麻から繊維を取り出すとき、熱を加えず、金具や貝殻で取り出します。
 このことを物理的方法と私が名付けました。
2.化学的方法  芭蕉布や藤布を作る際、灰汁汁で煮ます。これはアルカリで繊維を取り出す方法なので
化学的方法と名付けました。シナ布などもこの方法です。
3.生物的方法 発酵菌の作用を借りて繊維を作る方法 これを生物的方法と名付けました。静岡遠州の葛布は
これを積極的に行っています。
生物的方法は繊維を傷つけにくく、美しい繊維がとれるのですが、いつのまにか無くなってしまったと私は考えます。ほかの繊維でも行っていたのですが、能率の問題などから忘れ去られたのではないかとかねてより推論していました。 きっとほかの繊維でも発酵技術があったはずだと考えたのです。
 大麻は水の中で微発酵させます。 亜麻の良い物は草の上で発酵。次のレベルは水の中で発酵させると聞いています。現在は主に機械に掛けて繊維を剥がす、物理的方法が大多数です。徳島木頭村で昔作っていた太布は発酵を用いていたとか。現在は灰汁汁炊きです。
 今回、芭蕉布を作っている奄美の方に 奄美大島の芭蕉繊維を作るには発酵過程を用いると聞きました。
沖縄とやり方が違います。これは発見です。
 どうも、昔は発酵技術があったのではないかとの私の推論。少しずつ証明されてきたようです。
かなり専門的な話になってしまいました